ベルリン・ユダヤ人犠牲者追悼碑を訪れて思ったこと

ブログを書くのは1か月ぶり、お久しぶりです。
11月上旬は高知県幡多郡へ、
中旬〜下旬はヨーロッパに行っていました。

約2週間にわたる、オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ドイツを巡る旅。
命の危険を感じることはなかったけど、
その代わり「日本人」であることを考えさせられる日々でした。

吐き出したい思考や想いはたくさんあるけど、
まずはここから始めたいと思います。


ベルリン。
ユダヤ人犠牲者追悼碑。

私が一番行きたくて、一番行きたくなかった場所。
一緒にいた2人がいなかったら、絶対に行かなかった。

なぜって?
だって辛いから。

私は昔から戦争や迫害にまつわる話題が大嫌いで、
中学受験の時は明治維新以降の歴史は全く勉強しなかった。

なぜ「応仁の乱」は「応仁の乱」で済むのに、
「太平洋戦争」はいろんな人の葛藤や名誉の話が詳細に語られるのか。
幼い私には全く理解できなかったのだ。
なぜみんなは平気で暗記できるのか理解したくもなかった。


そんな私がユダヤ人の話に向き合わざるを得なくなったのは、中学3年生の時。
英語の授業で『LIFE IS BEAUTIFUL』を見たのがきっかけ。
あまりにも哀しすぎて、
エンドロールが流れ出した瞬間、
後ろの席の男の子に「何がBeautifulなの?!」と怒った覚えがある。

あれから、ずっと引っかかっていた。
いったいあの題名の意図は何だったんだろうって。


ユダヤ人犠牲者追悼碑の中はこんな感じ。
高低差のある石が等間隔に置かれているから、
抑揚のついた道がまっすぐ伸びている。
来訪者はここを自由に歩く事が出来るのだ。

この日はたまたま晴れていたけど、
中は薄暗くて、正直恐かった。
ちゃんと出れるのかな、なんて遠く感じるんだろうって、
とにかく不安で不安で。
気づくと歩調がどんどん早くなっていた。

そうして再びお日様の光を感じた時に思ったことは、
『自分は日本人で、ちゃんとここに立ってる』
という至極当たり前な事だった。

でもそれが全てだったように思う。
その感想だけが、今の私には精一杯だった。
まだこれ以上のことを言葉にできない自分を情けなく思う。



今回、ベルリンに行けたこと。
そしてユダヤ人犠牲者追悼碑に行けたことを感謝したい。
最初のきっかけを下さった英語の先生と
もちろん連れて行ってくれた友人達の強さにもだ。

もしベルリンを訪れる機会があれば、
どんなにイヤで知識がなくともこの地を訪れてみると良いかもしれない。
前に進む感覚と、お日様の光がきっと何かを感じさせてくれると思うのだ。



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