才能の有無を決めるのは自分じゃない、他人だ。



「あなたはどう思う?」
「自分の幸せを考えればいいんだよ?」

こんなに優しくて、こんなに悩ましい問いが他にあるだろうか。



『才能の有無を決めるのは自分じゃない、他人だ。』
そう気づいてから、随分楽になった。

評価軸は常に自分の中になくたっていい。
時には、他人に渡してしまったっていいのだ。

才能とか、努力とか、
自分で計ってもどうせ埒があかないんだから。

「才能があります」「努力しました」
なんて空虚なことばを振りかざすくらいなら、
最初からものさしなんて持たなければいい。
他人のものさしに測ってもらえばいいのだ。

いささか極端だが、そう割り切ってから
気持ちが上向きになったような気がする。


しかし、そこには乗り越えなければならない壁もある。

他人のものさしで測られるということは、
メモリの具合によって結果が変わってしまうということ。
ある人は”才能がある”と評し、
ある人は”劣悪だ”と罵るだろう。

その雲泥の差を受け入れる覚悟をしなければならない。
決して、自分のものさしを取り出して相手に抗ってはいけないのだ。

これは才能や努力に限った話ではない。
ふとした会話で生じる、価値観や常識の違いも一緒だ。
いつだって自分が正しいわけじゃない。

ことばにすれば誰もが当たり前だと分かっていても、
いざ当事者になると忘れてしまう。
こうやってブログを書いているときでさえ、
自分がどんな思いで文を綴っているのか分からなくなるのだ。

正しいと思っているのか。
もしくはそれ以外の感情なのか。


私にはよく分からない。
だからもう、読者のものさしに委ねてしまおうと思う。


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