過去は静かに自由を奪っていく



あっという間に日が沈んで、
窓から冷たい風が吹き込んでくる。
真ん丸な月をみて、秋が来たんだなぁと思った。


瓶に詰めた夏


何かを得ることは、何かを捨てること。
全部欲しいと思っても、
体一つと二本の腕では到底持ちきれない。

美しい花が天から降ってきたとしても
簡単に手を伸ばしてはいけないのだ。
胸に抱えた大切なものがこぼれてしまう。

欲張りな私はこれに気づかず、
多くを得る代償として多くを失い続けてきた。
大事なものもたくさんあったのに。


失いたくないものを守るには、
過ぎ去るものを受け入れる覚悟が必要なのだ。
過去の中に私を探しても仕方ない。


フィレンツェの教会にて


未来への意志を持った時、
過去は静かに自由を奪っていくことを知った。
これまでの経験が無駄だとは決して思わないが、
他者は私の過去で「私」を判断し、
自分も過去をもとに「私」を説明する。

でも、過去ってそんなに確かなものなんだろうか?
脚色されていない真実の記憶だと
誰がどうやって証明できるのだろう?

相手を信頼するための材料に
相手の過去を聞くって
実はかなり矛盾してるのかもしれない。


とすると、もう信じられるのは「今」だけ。
過去を語る方法に注力するぐらいなら、
今、自分がどんな人間なのかを懸命に考えて体現する方がずっと良い。


イタリアでパスタ

過去はとても曖昧だ。
過去よりも今の方がずっと信憑性が高い。
なら未来は?

私は過去と同じ扱いが妥当だと思っている。
あやふやさで誰も証明できない所がとても似てる。
違う点を挙げるなら、
過去は実験結果未来は実験計画って所だろうか。

おもしろい結果を評価してくれる人は多いけど、
おもしろい計画を評価してくれる人は少なめ。
後者の方がずっとワクワクするのにね。

前者の方がカシコいんだろうなぁと思いつつ、
やっぱり後者で在りたいなぁと思うわけです。


さーて、楽しく生きるませう。


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