世の中には似非「常識」 が溢れてる。



金曜日の阿蘇。
遠くに見える阿蘇山からもくもくと煙が上がる。
熱された太陽が照らす中、
冷たい風が草千里を駆け抜けた。

頭に浮かぶのは、昨晩偶然出会った人たちから聞いた話。
ある日本人女性は
好きなゲストハウスで働きたくて東京の仕事を辞め、
あるオランダ人女性は
埼玉で6ヶ月インターンをするために日本にやってきたという。

世間体やプライドに雁字搦めにされて進路を考えている自分が
急に恥ずかしくなった。

熊本県阿蘇市草千里


世の中には似非「常識」 が溢れてる。

スマホでメールが送れることも
一杯のコーヒーが500円することも
大学生は就活をすることも
全部が普通で当たり前。

私を含めた多くの人がその中に浸りたがり、
そうでない場合を珍しがる。
「常識」という名の敷地を囲う塀は高く、
その外側をちらりと垣間見た時、
人は何かが違うことを認識するのだ。

眼差しに尊敬がこもることもあれば
軽蔑が混じることもある。
そして外の世界に住まう人を見て
「あの人は自分とは違う」
急な個人主義を頭の中で主張し始めるのだ。


しかし、ふと思う。
高い塀は何のためにあるのだろう、と。
作ったのは他の誰でもない自分なのに。

草千里で草原に放たれた馬を見て、
実は彼らの方が自由なんじゃないかと
思ってしまった。


熊本城


塀とは、
敷地を分けるもの。

塀とは、
外敵から身をまもるもの。

塀とは、
閉じ込めるもの。


良い意味と悪い意味が半分半分。
常識は時に私たちを過保護に守りすぎてしまう。

世界を広げるために
自分らしさを探しているつもりが、
他人との差別化に一生懸命になりすぎて
どんどん塀を高くしていることだってある。

続ければ続けるほど、
塀に空いた穴は見つけづらくなり、
飛び越えるのが困難になるのだ。


ほうじ茶

では、一度塀の外を知ってしまったら?

あまりに多くの選択肢が
「君は何をしたいんだ?」と問いかけてくる。
常識の外だから、常識なんて通じない。
主語も責任も全部「私」

大きな不安を感じたら塀の中に戻ればいい。
もし好奇心を刺激されたなら…
もういっそ塀なんて壊してしまった方が良いんだと思う。

ひろーーーい世界を旅すればいい。
思う存分。気がすむまで。



私は、塀を壊すよろこびを知ってしまった。
ちょっと中毒性がありすぎて困ってる。


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