見えないものが増えていく。



もうすっかり春、ですね。


SFCに咲いていたタンポポ


久しぶりにクモを見た。

私はベッドに横たわったまま、
Windowsのヘリをスーッと歩くそれを意味もなく凝視していた。
すると、クモは私の目線に気付いたかのように流れを止めた。

私はとっさに目線をそらした。
すると、クモは何事もなかったかのようにまた進み始めた。

時刻を見ると、もう11時を過ぎていた。
どうやら朝ごはんを食べた後、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


私はクモのいなくなったWindowsの白を5分ほど漠然と見つめていた。 
「久しぶりにクモを見た」という事実が、なんだか無性に悲しかった。


5月の渋谷

大学で勉強したり、NPOやらなんやらでいろんな人に会っていると、
毎日毎日いろんな知識や価値観が私の中に飛び込んでくる。

「ああそんな考え方があるんだ」
「裏ではそういう事情があるんだ」
「世界ではこんなことが起こってるんだ」

そんなことを漠然と思ってばかり。
これが「自分の世界を広げる」ってことなのかなぁ、なんて考えたりもする。


でも、正直私はこれが一概に良いとは思っていない。


きれいごとに聞こえるかもしれないけれど、
知識や知り合いが増えれば増えるほど、見えなくなっていくものはたくさんあるんじゃないかって
私は思ってる。

新しい知識や価値観は私の頭を豊かにし、乏しくさせていく。
見えるものが増え、見えないものが増えていく。


毎日都内と大学を行き来する自分の目に映っている世界は
本当に社会の一部でしかなくて、
そこから「最近の日本はダメだ」とか、「もっと人が幸せになるには」なんて語る資格はないと思ってる。
だって、一部から社会全体を見るだなんて、
円周率3.14…を「円周率3」だと言い張るのとなんら変わりないと思うから。


伝わるだろうか…?
もう少しだけ見えているものと見えていないものに関しての例を挙げてみると、


たとえば夜10時の話。

私の目に映るのは満員電車につらそうな表情を浮かべる会社員の姿ばかりで、
同じ時間に地元の商店街を散歩しているであろう人たちのゆるやかな時間を知ることはできない。


たとえばSFCの話。
普段は時間と労力ばかりを気にして歩かない道がある。
でも時間を気にせず歩いてみたらたくさんのタンポポが咲いていた。


たとえば朝の話。
日頃家にいる時間が少なすぎて、いたとしても作業ばかりしていて、
昔は頻繁に見かけていたはずの家の中のクモを最近見ていなかった。
でも今日の朝、何もしたくなくてぼーっと瞼を開けたらそこにクモがいた。


つまり何が言いたいかって、
見えるものだけが世界のすべてだと思っちゃいけないってこと。
見えないものは見ようとしなきゃ永遠に見えないってこと。

当たり前のことなんだけど、時々気付くと忘れそうになってる。
特に社会的に活躍している人の話を聞いたり、研究をしてる時。
でも、これだけは何があっても一生忘れたくない。


よく大人が「旅に出ろ」といったり、
新規プロジェクトを立ち上げるときは「ターゲットに実際に会いなさい」というのも、
根本にあるのはこれなんじゃないかなと思ってる。
数値的なデータだけじゃ取りこぼされているものが多すぎるから。
結局自分自身の目で見なきゃ何も始まらない。

数字がすべて、あの人の話がすべて、なんて思うこと自体安易であって、
本質も、自分が見極めるものであって、他人が見極めるものじゃない。
そもそもだれにとっても普遍的な本質を見極められる人などいないと思うからこそ、
見えないものを自分の目で見ようとする努力を忘れてはいけないと思うのだ。
もちろんあくまで一意見として。



最後に、余談として
「社会を変える」ということについて思うことをつらつらと書いてみようと思う。

SFCにいると、「社会を変える」ということばによく出くわす。
聞くたびに「あぁ。すごいなぁ」って素直に思うのだけど、
同時に「私にはそのことば言う勇気はないなぁ」って思う。

だって「社会を変える」ってすごいことだから。
それは歴史でいう「革命」みたいなものであって、
きっと誰かを幸せにし、同時に誰かの幸せを奪うから。

もちろん、「社会を変える」ことが悪いことだなんて思ってない。
時代の進歩には必要なことだと思うから。
ただ私にはそれだけの勇気がない、というだけだ。


だからこそ、私は「覚悟を持って大きな夢を子供みたいに語る人」が大好きだ。
誰かの幸せを願いつつ、でも誰かが悲しむことを覚悟した上で
夢を語る人というのは本当にすごい。
自分ができない分、なんだかどこまでも憧れてしまう。


私にできることなんて本当にわずかだけど、
少なくとも、見落としてしまいそうな小さな幸せに気付ける人で在りたい。

だから感性を大事にしたいし、
もっと物事や相手を理解するための知識が欲しい。


もし仮に自分についての本質があるとしたら、
きっと今の私にとってはこれが本質なのだと思う。

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