「だって…」の後


「君って欲張りだよね」
最近、ある大人にこんなことを言われた。

「そうですかね(笑)」
なんでまたそんなことを…と思ったけど、
とりあえず私はいつも通りに笑ってごまかした。

「自覚、あるでしょ?」
うん、確かに自覚はある。
そして前言撤回。
このことば、前にも誰かに言われた気がする。

「だって…、ねぇ。(笑)」
声になったのはまたもや曖昧な答え。
本当は脳裏にいくつかの返しが浮かんでたのだけど、
説明するのが面倒で、全てをのどの奥で食い止めた。
隠してる訳でも、信頼してないから話さない訳でもない。
ただ気分じゃなかった。

「まぁ無理はしないように。頑張りすぎると倒れるよ」
そう言って、その人はニコリと笑った。
言動と表情が全く合っていない。
心配してる、というよりはおもしろがっている感じ。

「睡眠は6時間取らなきゃ生きていけない子なので。大丈夫です」
ここでこう返す私も私だよなぁ、なんて思いながら
ミルク入りのアイスティーを一口飲んだ。
今日も奢られたら、明日は私が後輩に奢ろう。

渋谷、最後の夏空

そんなわけで、
今日の私は「だって…」の後を文字にしてみたくなった。

就活の自己分析じゃないけど、
私は昔から自分の言動や思考に「なんで?」と問いかけるのが好き。
その理由をここに書く気はあまりないけど、
問いかけは時々”内省”になったり、”原体験”の発掘になったりする。


では本題、私はどうして「欲張り」なのか。

実際、やりたいことやらずにどうやって人生楽しむの、とは思ってる。
直感が「やれ」というならやるし、そうしたらもう「やらない」なんて選択肢はない。

直感が全てです!とは言わないけど、少なくとも抗う対象ではないことは確か。
直感は経験と神様から来る必然的なものだと思ってるから
とりあえず従うことにしてる。

こういう時”神様”ってワードを使っちゃうのは、
幼稚園がキリスト教だったからなんだろうか…。
別にキリスト教信者じゃないけど、
円環的生死観か直線的生死観って聞かれたらたぶん後者だし。
人のアイデンティティ形成に幼児教育は絶大な影響力を持つなぁ、
と身を持って実感するばかり。


話が反れた上、ちょっと長くなる気がしてきたからもう結論に行ってしまおう(笑)

『やりたいことは全部やりたい。』
この想いの原体験の1つは、たぶんこのマンガのこのページ。
確か読んだのは高2ぐらい。
読んだ時、すごくすんなり落ちてきたのを今でも覚えてる。

『ハチミツとクローバー9巻』

もしかしたら中途半端なキリスト教の影響もあるのかもしれないけど、
このページを読んだ時
やりたいことを全部やるには人間の一生は短すぎる
ってことをひしひしと思い知らされた。

だとしたらもう私にできることは2つぐらいしかない。
1つ目は、時間の許す限りやりたいことをやること
2つ目は、友達をたくさん作ること
これが当時の私が出して、今の私も大事にしてる素直な答え。
我ながら、単純(笑)

でもこれだけをちゃんと頑張れば、
私はたくさんの箱を空けられるし、空けられない分は友達が空けてくれる。
しかももしかしたら私が気づかなかった箱を友達が気づかせてくれるかもしれない。
そう考えたら超楽しいなぁって(笑)

ちなみにそんな私が人生の最後に空けたい箱は考古学。
古代文明について勉強したい。
ピラミッドとかマヤとか。

もちろん人生最後に閉じたい箱はまた別。
ちゃんと、閉じれるといいなぁ…

0 件のコメント:

コメントを投稿