心の広い人は、もうやめる。



書いては消して、書いては消して。
文章はそうやって生まれてく。
適当か丁寧かは関係ない。
文章はどんな時も等しく、たった2種類の単純な作業から始まるのだ。



2月。
何も書くことが浮かばなかった。
このブログが1年続いたら、ブログを始めた理由を書こうと決めていたのに
それすら書くことができなかった。

でも別に良いと思ってた。
だってブログを書くことは義務じゃないから。
「書きたいと思ったときに書く」
それがこのブログを始めたときに唯一つくったルールだった。

よく、文章を書く時は読者を想定しなさいと言われるけど、
このブログの場合、それは「ちょっと先の未来の自分」

たった1人の特定の人物のために、時折ことばを綴ってきた。
忘れっぽい私のための備忘録。
書いた時の気持ちや景色がちゃんと伝わるように、
ことば選びと表現にはこだわってきたつもり。

結局は全部自分のため。
でも、だからこそ
知らない場所で読んでくれる他人がいることが嬉しくて仕方がなかった。
おかげで自己満足も少しは救われたような気がしている。



正直な人はかっこいい。
自分の弱いところ、醜いところを口に出せる人は強い。

誰かと話すたびに、そんな風に思ってきた。
「私もこの人みたいになりたい」と、
憧れだって抱いてきた。

けど、なかなか上手くはいかない。
見栄っ張りな自分は思っていた以上にどっしりと腰を据えていて、
本音を語ることが恐った。
周囲からの意見を、真正面から受け止められる自信がなかった。
否定された時、そこから立ち直る自分が全然想像できなかった。

ひとりぼっちはもうやだ、
そんな想いがおへその辺でぐるぐると渦を巻いていたのだ。

だから、私は自分に嘘をつくことで必死に自分を守ってきた。
何を言われても、どんなにイヤなことがあっても、
心を広く持てば、傷つかない。

「寛容になれ。見方を変えろ」と唱えることが
私なりの処世術だったのだ。

大抵の物事は俯瞰すれば、ただの出来事。
神様のような視点で、私という一個人を捉えることができる。
目下の私はちっぽけで、
悩みも寂しさも全部大したことのないもののように思えた。
『ハンマーソングと痛みの塔』の王様みたいな気持ち。



でも、そんな自分とやっとさよならができそう。
最近になってようやく
高校生から何も成長していない自分に気づくことができたのだ。

いつも同じところで悩んでしまうのも、
相手に上手くことばを贈れないのも、
全部原因は一緒。
今までちゃんと傷ついてこなかったからだ。

傷つくリスクを最小限に抑えようとしすぎて、
私はいろんな本音をぺしゃんこに押しつぶしてきた。
失敗から学ぶことをしてこなかったのだ。

それじゃ前に進めるわけがない。
いつまでたっても臆病者のままだ。
なんでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。

いい加減、覚悟を決めなきゃ。
心の広い人は、もうやめる。

自分に対しても、もう嘘はつかない。
めいいっぱい喜んで、めいいっぱい傷こう。
根拠は全くないけれど、今ならきっと大丈夫。

何があっても、根っこは折れずにいられる気がするのだ。


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