課題『私にとって、「うた」とは何か。』


お久しぶりの、大学の課題シリーズ(笑)
気まぐれですが、またブログにも残してみることにします。

水曜1限の「うた」という授業を履修するために書いた、選抜用の文章です。
課題のテーマは『私にとって、「うた」とは何か。』でした。

表現方法は自由とのことだったので、かなり自由に書いてます。
作品とは言えませんが、よければご覧ください。

----------------------------------------------

私にとって、「うた」とは何か。


「うた」。
それはいつだって私だけのもの。
どんな楽曲も、1度覚えてしまえば全部私の「うた」になる。
それが童話かJ-POPかオペラかなんて関係ない。
長さだって関係ない。
3分の楽曲も、5分の演歌のほんの5秒も、全部全部「うた」になる。

「うた」にはルールが存在しない。
私がかき集めたメロディや歌詞は全部「うた」になる。
そして飽きることなく何度も何度も口ずさみ、
その心地よさに酔いしれながら私は自分の「うた」う世界を楽しむのだ。


小さい頃からうたうことが好きだった。
母がピアノの先生をしている影響で、
ずっと身近に音楽があったからだろう。
小学校からの帰り道だって、
おばあちゃん家に向かう車の中だって、
トイレの中だって、
私はいつだって好きなようにうたをうたってきた。

内緒だけど、実は今だってそう。
さすがに大声でうたいながら歩道を歩くことはなくなったけど、
時々街中でひっそりとうたうことがある。

たとえば、渋谷駅のエスカレーター。
体を運ばれながら小さくハミングしてみることがある。
周りの騒音できっと誰にも気づかれないだろう、なんて。
そんな気持ちでいつもドキドキしながらうたってる。
実際バレているかどうかはよく分からない。
もしかしたら変な人に思われてるかも。

でも、そんな日の私はなんだか気分が良くて。
してやったぞって、
まるで梶井基次郎の『檸檬』の主人公のような心持ちになる。
私にとってうたうことは主人公になることで、
うたは手作りの爆弾なのだ。

私の幸せのたねになる爆弾。
もしかしたら他の誰かも幸せにしてくれるかもしれない爆弾。
さぁ、次はどんなのをつくろう。
今度はどこに置いてこようかなぁ。

----------------------------------------------

作品とは言えない。
そう思う理由は明確には語れません。
それ以前に、これは自己満足しているかどうかの問題なので、
そもそも語る価値もないかなぁ、と思ってます(笑)

じゃあなんでブログに載せたのかって、
まあそれは『檸檬』を思い出せたことが嬉しかったからです。
高校生の時、現国でしつこいぐらい読んだなぁって(笑)
そんなもんです、理由なんて。

読んでくださった皆さま、ありがとうございます。
いつの間にか、陽が長くなってきましたね。





0 件のコメント:

コメントを投稿