たまには「なんとなく」があってもいいでしょう


夕焼けのホーム

誰もいないホームに夕日が差し込む。
光の裾は曇りガラスをくぐると、
絶妙な具合で古びた駅を幻想的な場所に変えてしまった。

もしここが『銀河鉄道の夜』の世界なら、
きっとこの駅はこぐま座あたりにあるのだろう。
理由なんて何もないけれど、
なんとなく、そんなことを思った。

電車が遅れてるのか、時計が遅れてるのか

世の中、なにかと理由が求められることが多い。
特にビジネス的な場面では、
よく「Why?」の問いが飛んでくる。

でもだからって、日常生活全ての物事に理由がいるかと言ったら
私は決してそうではないと思ってる。
理由が必要か、必要でないかも大事だけど、
理由をつけたいか、つけたくないかもきっと大事。

理由をつけることばかりに追われると、
心も頭もどんどん素直じゃなくなっていく。
たまには「なんとなく」があってもいいでしょう。
別に誰も論破したりしないんだから。

本当に恐かったら、誰にも話さなければいい。
自分を守る方法を、自分なりに見いだせばいい。
一瞬、孤独にも思えるかもしれないけど、
自分に嘘をつくよりはずっとマシだ。

ただでさえ建前が多い世の中なのに、
自分にまで正直でいられないなんて寂しすぎる。
嘘をつくことに慣れすぎると、戻りにくくなってしまうのだ。

少なくとも私は、
戻るためにたくさんの時間を使ってしまった。
あまり詳しいことは書きたくないけど、
次に会ったら、謝る代わりに
私を許してくれたお礼を伝えようと思ってる。

反射

大人も子どもも生きてるのは一緒なのに、
なんで大人の方が抱えてるものが多く見えるんだろう。
いったいいつから、計り方が変わってしまったんだろう。
私のモノサシは、必要以上に
メモリが書かれているような気がしてならない。

もっとシンプルに生きる方法はないものか。
最近は、そんなことを思いながら未来を思い描いている。



最後に。
私は10000人に感謝される人より
1000人に声を掛けられる人が好きだ。
100人とごはんに行ける人は尊敬するし、
10人と旅行に行ける人には憧れを抱いている。
そうして、1人を確実に幸せにできる人は本物だと思っている。

「確実」とか「100%」とか、
そういうことばに責任を持つのが一番難しい。
もしこの表現がこの世から消えたら、
いろんなことはもう少しシンプルになるのかなぁ。


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