誰のための人生だ、誰のおかげの人生だ


やりたいことはとっくに分かってるのに、
どうしても最後の一歩が踏み出せない。
得体の知れない不安は、
いつだって私を「安全圏」に導いて行く。

表面上の自分と本音の自分が
このままどんどん乖離していったら、
いったいどんな大人が出来上がるんだろう。


「誰のための人生だ」
上の方から声が聞こえた。

「誰のおかげの人生だ」
下の方からも声が聞こえた。


朝の代官山蔦屋にて


3年生になって、旅をする頻度が増えた。
月1~2ペースで、日本国内を巡ってる。
この間は瀬戸内海の直島・豊島に行ってきた。

旅は友達と行くこともあれば、
あえて1人で行くこともある。
レジャー&グルメが目的なら前者。
アート&地域の方とのふれあいが目的なら後者、という具合だ。

その土地に浸かりたいなら、
やっぱり1人の方が良い。
誰かと一緒じゃなきゃ味わえないことがあるのと同じように、
関係性を引き算したフラットな自分じゃなきゃ
感じられないこともたくさんあるのだ。

未知なる土地に踏み込むことは、
キレイな水に絵の具を一滴垂らすことに似ている。
本来そこにないものが、
少しずつ周囲に溶け込んで行き、やがて同化して行く。
そうして、全体の水にも少しの変化をもたらすのだ。

不思議なことに、
旅をしている時が一番生きている感覚を味わえる。
一期一会の出逢いが「意味」を感じさせてくれるからかもしれない。
ここにいて良かった、と。
心から偶然と自分の存在を肯定することができるのだ。


「誰のための人生だ」

旅をしている時の自分は迷いなくこう言うだろう。

「私のための人生だ」


豊島美術館に向かう坂道。快晴の瀬戸内海。


3年生になって、よく聞くようになった言葉がある。
そう、「就活」だ。

インターンシップやらグループディスカッションやら、
誰が言い始めたのかも分からない横文字が辺を飛び回っている。
「就活するの?どうするの?」
なんてことをよく聞かれるが、
まだまだ頭はスポンジ状態。
もっぱら”日本語訳ごっこ”で遊んでいる。

インターンシップは就労体験、
グループディスカッションは複数人討論、
エントリーシートは…、雇用審査のための事前資料??
みたいな。
思わず墨で書いて郵送して、
袴で面接会場行きたくなっちゃうね。

こんな感じだから、
今のところ、楽しいよ。就活。


でも、違和感がないわけじゃない。
本当は、就活よりもっとやりたいことがある。
ことばを綴って生きてきたい。
芸術家になりたい。
そう呟く自分がどこかにいるのだ。

分かってるならやればいい。挑戦すればいい。
ダメだったらまた0から始めれば良いと、
頭では分かってる。

けど踏み出せないのは、
不安定な状況に身を投げ出して、
結局親に恩返しできなかったどうすればいいのか、
全然分からないからだ。

こんな悩みに打ちひしがれるなら、
文章や芸術は趣味でいい。
今すぐ叶えられなくたって、
いつか未来で叶えればいい。
そんなふうに思う私を、
何十年後かの私は後悔の目で眺めるのだろうか。


「誰のおかげの人生だ」

少しの沈黙のあと、私はこう答える。

「親のおかげの人生だ」


今日、何かええことあった?


分かることと、分からないこと。
分からないことはある日突然分かることになり、
分かることはある日突然分からないことになる。

これはきっと、永遠に続くループ。
繰り返すたびに意味が濃くなっていく。
年を重ねることに何かを求めるなら、
私はこのループに時間を割く許しを得たい。

時に1人で、
時に誰かと一緒に。

そういう人生って、どうかなぁ?


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