「本来そこにいない存在」になること


夏の終わり。それは真夜中。

電気を消してベッドに潜り込んだものの、
なかなか夢の世界へ行けない。
さっきから真っ暗な天井ばかり眺めている。

試しに目を閉じてみると、
視覚を遮断した分、今度は聴覚が冴えてきてしまった。
少しだけ開いた窓の隙間から、
秋っぽい虫の声が聞こえてくる。

鈴虫でも、蝉でもない。
モールス信号のような一定間隔のメロディー。
いったい彼、もしくは彼女は何を伝えようとしているのだろう。
私には皆目検討もつかなかった。


平成26年度が始まってからというもの、
月に2度程の頻度で旅をしてきた。
よく大人が「若い人は旅をするべきだ」なんて言うけれど、
本当にその通りかもしれない。

1人旅にせよ、誰かとの旅にせよ、
誰もが「異人」になれる。
「本来そこにいない存在」になることで、
景色、人、食べ物、全てを新鮮に味わうことができるのだ。

そしてもう1つ、旅で得た大きな収穫物があった。
それは、『自分の圧倒的な無知さ』を痛感すること。
もう嫌という程自分のふがいなさを味わった。


英語が分からなくて困っている島の住民
パーキンソン病を抱えるおばあちゃん
過疎化に悩むおじいちゃん
「食」への警鐘を鳴らすたまご農家さん
政治が地方を置いてきぼりにしていると怒る市民
人間らしい暮らしを求めてIターンをしてきた家族
米で稼げない日本はおかしいと農作を始めた青年

彼らの問題意識と、背景にある知識を聞くたび、
自分の無知さを思い知った。
持っているのはくだらないプライドばかり。
とにかく恥ずかしくて仕方なかった。



しかし、ある時私の自信を少しだけ回復してくれた出来事があった。
英語が分からないおばあちゃんに
裏紙に簡単な英語を書いて渡したら、
「ありがとう」と、笑顔で喜んでくれたのだ。

たわいもない些細なこと。
でも、意味が分からないくらい嬉しかった。
「君にも出来る事あるじゃん」と、
誰かに手を差し伸べられて救われたような気分すらしたのだ。


私は負けず嫌いでプライドが高くて、
とても冷静な人間だ。
でも一方で、他人への敬意と対話を大切にし、
利益よりも感情・成長を考える感性的な人間だ。

前者は天性、後者は後天的に身につけたもの。
まだ達者な舵取りはできないけれど、
それでも船は一応前に進んでる。
必要なのは、目的地を決めること。

西へ進むのか、東へ進むのか。
「生きる」という世界地図に、
そろそろ「仕事」という港を描き始めるべきなのだろう。

さて、どこへ行こうか。
まずは先に旅立った人たちの声を聞くのが良いかもしれない。
未来よりも、過去を探る日々へ。
視覚よりも、聴覚を研ぎすます日々へ。



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